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学園祭の代表ともなると、様々な人脈ができてくる。大学からお金が出ない自主開催のため二千万以上の広告費などを学生だけで集めなくてはいけない。
サラリーマンでないうちの父とはまるきり違う、大企業の方々と会食する日々。流石の自分でも知っている有名な企業ばかりである。早稲田卒業生のネットワークもあり、今まで見たことも無い世界を目の当たりにする日々だった。
そんな中、とある商社の人と出会った。
当時はリーマンショックの影響で、大不況に自信を失った日本では、新渡戸稲造の「武士道」が流行していた。
その人は、有名な商社の社員にも関わらず、ラフなジャージに髭面という独特な風貌で表れ、ファッション誌の編集者などと共に、アパレルから日本らしさを取り戻すという。
samurai project
活かしたロゴにも絆され、学園祭が終わったあたりで一緒に何かやろうという話に乗ることにした。
大学の中で盛り上がる学園祭を終え、それらサークルとは違い、NPOやNGOで大学の枠を超えて活躍する同世代達への憧れが強くなっていた。
塾の生徒達に早稲田の素晴らしさは語り続けてきたが、早稲田の外にもすごい世界もある事を伝えたい。
自分か早稲田の先輩達からきっかけをもらったように、やる気や自信につながる出会いが無いだけで、無気力になっている同世代や後輩にきっかけを与えたい。
そこで、samurai projectの一環としてNPO法人をつくり、フリーペーパーやイベントで、同世代が活躍するNPOやNGOの紹介をする事にした。
早稲田祭で繋がった仲間数名と、高田馬場にアパートの一室を借りる。ボロボロのワンルームではあったが、自分達の城というのは何物にも変え難い場所となった。
フリーペーパーは、発行部数一万部。巻頭インタビューは、早稲田卒の有名人。最初のゲストは小堺一樹さんだった。広告の営業から、編集作業、印刷、配布すべてを自分たちで行う。足りない費用は、塾講師で働きまくった自分の給与を惜しみなく充てた。
そんな折、収益化を目指したイベントをやろうという話になった。どうせなら若者の街、渋谷が良い。それも、小さなハコではなく、無気力な若者がふらりと立ち寄れる場所、代々木公園しかない。さっそく関係者に連絡してみたものの、公園なので公共団体の協力がないと貸せないと言われる。半年ほど色々なルートをあたるも、出来立ての学生NPO法人に手を貸してくれる人はなかなかおらず、一向に光が見えなかった。
しかし、願えば叶うものだ。後輩の紹介でとある深夜番組に私が出ることとなり、若者と政治家が言い争うという企画に出演したのだが、そこに出席した内閣府の副大臣を務めていた国会議員が後に連絡をいただき、産まれて初めて内閣府のすごい部屋に通された。内情を話すと、副大臣はその場で誰かに連絡をしてくれた。そのパワーたるやすごいもので、経産省、英国大使館の協力をあっという間にいただけることになり、無事代々木公園でイベントを開催できる運びとなった。
屋外のイベント運営に向けては、代々木公園でのイベント運営に慣れた職人さん達も協力してくれた。
不慣れな契約書作成は、著名な弁護士事務所が手伝ってくれた。
百を超える団体テントブース、飲食エリア、ステージでは有名人のライブ。渋谷を練り歩くパレードは、警察が全面協力してくれた。
参加が決まっていた団体が海外のテロ組織に資金を流している疑いがあったようで、警視庁と公安に呼ばれるという事件もあったが、そちらも無事解決し、本番を迎えることができた。
しかし、ひとつだけ裏目に出た事があった。イベント当日の天気である。小雨降り注ぐ十一月の開催。あてにしていた飲食売上が絶望的なレベルで赤字となった。
イベントが終わり数日が経つと、仲間の空気がおかしい。イベント前に一人数万円カンパを集め「イベント収益から返す」と話していたアテが外れたからだ。
「他の施策で利益上げるからしばらく待ってほしい。」という、こちらの話は誰にも信じてもらえない。
更に、イベント終了後、聞いてもいない請求書が幾つも届く。
今なら当たり前のことなのだが、大規模イベントなど、業者の定価でやったら利益など出るわけがないのだ。
通常は、下手すると定価の半額くらいで機材を抑えるのが常識。そんなことも知らず、スタッフはほぼすべての機材を定価で借りていた。
借金の総額は、五百万を超えていた。
二十四歳の五百万は、天文学的な数字だ。
ただ、金額よりも、それまで仲間だと思っていた人たちが、借金となった時点で自分の分だけでも返せと掌を返してくる。その変わり身に、若い自分は耐えられなかった。
新聞配達時代とはまた違う、絶望の縁に立たされ、露頭に迷う。
いくつものクレジットカードをつくり、五百万を用意した。その金を残った仲間に託し、僕は一人夜中のうちに事務所の荷物をまとめ、東京から逃げた。
正に、夜逃げだ。夜明けの太陽がこわい。暗いうち逃げなければいけない。
最低限の荷物を持って深夜バスに乗る。真っ暗でシーンとしたバスの中で、「俺は父親以下だ。父は逃げなかった。俺は逃げた。」と打ちひしがれる。
この日から、約十年ほど、ひたすら借金を返し続ける日々が始まる。
気づくと、已己巳己は栃木県にいた。