第2話 転機となった中学時代

※サムネイルの写真と本文は、全く関係ありません。

中学生になると、人生は一変する。

おとなしく天文部にでもしておけば良い肥満児が、何を血迷ったのかテニス部を選んでしまう。

ダブルスしかないテニス部は、「全学年足すと奇数」という残酷な運命により、已己巳己は唯一ペアが組めず、練習参加はほぼ皆無で、ひたすら学校の外周を走らされるだけの日々が続く。

先輩から「遅い!」と石を投げられながら、走る。ひたすらに、走る。

真っ暗になっても、先輩に終わりと声をかけられるまで、やめられない外周ランニング。

声すらかけられず、気づいた時にはみんな先に帰っていたことも多々ある。

一つだけ残された已己巳己の通学カバンは、みんなに蹴られ土まみれ。

本来ならいじめと悩むレベルなのだろうが、あまりにもスポーツの経験が無さすぎて「スポーツというのは大変なものだなあ」と、気にもとめなかった。

これが人生を変える1つめのターニングポイントとなった。

中一の担任は川合先生という、お節介で口うるさいおばちゃんだった。

川合先生は、毎日手書きのクラス新聞を作り、できるだけ多くの生徒に光をあてる。毎日発行するためには、全生徒を本当にしっかりと見続けておかないといけないはずだ。とても稀有な良い先生だった。

深すぎる懐に甘え、笑いを取ろうといたずらをしては叱られるのが日課であった已己巳己に、ある日川合先生が真面目な顔で話しかけてきた。

「あなたは忙しくないとダメになるタイプだから、生徒会に立候補しなさい。」

生徒会。そもそもこの頃の已己巳己は馬鹿すぎて、それが何なのかもわからなければ、立会演説会なる全校生徒を前にした決意表明など絶対にやれる気もせず断ると「もう申請用紙出してきちゃったから」との事。

何故かそこまで頑なに拒む事も無く、何故か大勢の前で話す立会演説会も大した緊張も無く、無事生徒会役員になれた。河合先生はわかっていたのだろうと思う。本当に、すごい先生だった。

これが、人生の二つ目の転機。生徒会に入り、裏方の経験や楽しみを味わうことになったのだ。ここから後、大学時代までずっと生徒会や学園祭などの裏方に毎年立候補するようになる。

川合先生は、確かにしっかりと自分の性格を見抜いていた。川合先生には、本当に感謝しかない。

集団イジメ化している部活との両立は厳しかったが、土日や先輩がいない早朝や深夜に忍び込みテニスに明け暮れた。いつもラケットすら持たせてもらえないのでボールが打てるだけで堪らないのである。

そんな生活を毎日続けていたので、中二の夏にはガリガリに痩せ、テニスも学年で二番手まで上り詰めていた。おまけに万年ビリだったマラソン大会も、上位五%に入るほどに成長していた。

部活との出会いで、「肥満児」から脱却できたのだ。いじめ抜いてくれた先輩方には感謝しかない。

好きな子と塾帰りに少人数でワイワイしたり、生徒会の先輩と夜の校舎で手を繋いだり、女子から告白されたりと、モテ期の光は差し始めたが、いかんせんそれまでの「影子」が強力に足を引っ張り、特に何かが進展することも無く、中学生活も終わりを遂げる。

卒業後に勇気を振り絞って意中の子をデートに誘ってはみたが、「ディズニーランド」と言う予定がなぜか緊張から「め、目黒の寄生虫博物館行かない?」と意味不明なお誘いをしてしまったのも、今考えるとかわいいエピソードである。

最悪の小学生時代。

上向き始めた中学生時代。

そして、いよいよ、青春ど真ん中の高校生活へと突入する。

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