第5話 早稲田祭の復活と代表就任

※サムネイルの写真と本文は、全く関係ありません。

早稲田大学の大隈講堂前、日本最大規模と言われるサークル数を誇る早稲田は、入学生の勧誘だけでもお祭り騒ぎになる。

喪服しか持っていない父もスーツを新調し、母と三人で入学式に出る。父のもらった二千円に応えられたかなと感じるほど、両親は嬉しそうで、自慢げで、場違いな空気にどこか恥ずかしそうにしていた。

早稲田祭を復活するサークル。

早稲田魂という、早稲田大好き受験生のための雑誌編集サークル。

マニアックなイベントの企画運営をするうわついてないイベントサークル。

大学一大きい音楽サークル。

これまでの鬱憤を解消するかの如く、色々なサークルに入りまくる。

ただ、相変わらず金は無く、予備校時代の先生に憧れ、時給も良い塾講師のアルバイトも始めた。

先生という仕事は、想像以上にやりがいがあった。大切にしたのは、教え方よりも、熱量。志望校への想い。それが高まればいくらでも成績は伸びる。頭の良し悪しとは関係無い。

新聞配達からの経験を語り続けると、一人また一人と生徒が目を輝かせていく。成績も皆上昇し、一年を待たずに数百名の教室で授業をする事も増えていった。

そのまま、塾講師生活が中心となった二年生の初夏、急転直下、学園祭の復活が認められた。

本題では無いのだが意味不明な方も多いと思うので、簡単に早稲田祭中止の経緯を書くと、学生運動が盛んだった早稲田では、学生自治の祭典と文化祭が位置付けられ、学園祭開催中は教員ですら入場料を取られる始末。

大学が費用の一部を負担し入場料を廃止する事になったのだが、大学が負担してくれるならとパンフレットの広告費などを関係の深い政治団体等に横流ししていたと当時の学園祭実行委員会と、大学側が裁判沙汰になり、開催中止が決まったのである。

早稲田祭、五年ぶりの復活。規模は一部のエリアに限定はされたが、学園祭復活にかけてきたサークルは、大盛り上がりで準備を始める。

しかし、塾講師と、たくさんのサークルとの両立でそこまで時間が取れない已己巳己は商店街パレードの責任者を四名ほどのチームで任される事となったものの、その多くを後輩に任せるしかなかった。

こまめにサークルの中で状況報告もしなければ、そもそも学外での準備が多く、サークルのみんなとも疎遠になっていた中、已己巳己は別のことを始める。来年度の学園祭組織に向けた準備団体の設立である。

これもややこしいのだが、当時は「一年の限定開催で様子を見る」というのが大学側の見解で、実行委員会形式ではなく、サークルの代表が集まり自発的に行うというテイでの開催許可だったのだ。

そして、そのサークル連合の中心に、復活サークルもあったのだが、当たり前のように、全員が目の前に迫る今年の学園祭しか見ていない。

復活前は復活に向けいろいろな活動があったため、各サークルの上層部は仲が良かった。しかし、自分達二年生の代は学園祭が復活してしまう事で、各サークル内の実務が忙しく、横のつながりがほとんど無かったのだ。

已己巳己の目標は、「自分が早稲田祭の代表となる」ことである。そのために、受験を頑張ってきたのだ。

そこで、次年度継続開催のためのサークル次期代表候補と考えられる二年生をかき集め、準備に向けて動き始めた。

当たり前のように、今年の準備でそれどころでは無い準備サークルのコアメンバーから冷たい視線を浴びる。

ただ、已己巳己は、新聞配達員の時、先輩達に誓ったことを果すために早稲田にきた。

復活した早稲田祭が終わった冬に個人でバスを一台借り、主要な次年度各サークルで幹事長候補になっている連中を詰め込み、スキー合宿に行った。サークルで幹事長になるような連中はだいたいそのサークルに入り浸っていることが多く、最初は全員が顔みしり、緊張してロクな会話もできなかったが、帰ってくる頃にはみんなが仲良くなっていた。

未だに、当時の思い出話をするほど、これがきっかけとなり仲間が増えた。

そして、年明け、次年度の早稲田祭決定、全ての学内エリアの解放も決まり、自分の立ち上げた準備組織の選挙にて、已己巳己は新生早稲田祭二代目代表となった。五百人近い運営スタッフの長となったのだ。

それだけの人数なので最早細かいことは各チームに任せきりとなるのだが、商店街パレードの責任者は、去年自分の下で頑張っていた一年生だった。

「已己巳己さん、僕が考えたパレードの完成は、已己巳己さんを先頭で歩かせることです。先頭で踊りまくってください。」

そもそもの歴史もあり、極力私物化になる事は排除していた立場からすると気になる点もあったが、その心意気に応えたく、当日二千人近いパレードの先頭を歩かせてもらった。振り返ると、視界いっぱいに広がるパレードの参加者が楽しそうに大騒ぎしている。涙を抑えきれなかった。

そのパレードが大隈講堂前ステージに到着する。二日間で十二万人の来場者。ほぼ自主営業での費用捻出。大学の全エリアを使った早稲田祭のフィナーレである。

入りきれない群衆は、ステージなど見えないだろう数キロ先の距離まで鮨詰め状態になっていた。

最後のステージが終わり、閉会の挨拶に呼ばれる。

新聞配達員として初めて大隈講堂を訪れた。それから早三年、今自分は、早稲田に入り、早稲田祭をつくり、代表としてマイクを握っている。

ステージから見るあまりの人数に呆気に取られていたが、ふと目を落とすとステージ脇に、新聞配達員の時、声をかけてくれた先輩達が楽しそうにふざけ合っている。

計十二万の参加者よりも、あの時の先輩たちが自分が旗振りをして創り上げた早稲田祭という場でこんなに楽しそうにしている。

それを見て、急に涙が溢れ出た。

涙ながらに、閉会の言葉を話し終える。鳴り止まない拍手、「お疲れ様!」「ありがとー!」の声。ブラスバンドのリズムに合わせ会場にいるすべての人が肩を組み、腕を振り下ろし、早稲田の校歌や応援歌を歌う。

なにかの漫画のように、すべての夢が叶った瞬間だった。

まさか、ここに立つ早稲田祭代表が、そのあと、大借金を抱え夜逃げまでするまで追い込まれるとは、参加者の誰もが、想像しなかっただろう。

同じカテゴリーの記事

PAGE TOP