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とある知り合いの社長さんに、「已己巳己くんみたいにやりたいことがたくさんある人は、若いうちに根っこをしっかり張ったほうがいいよ」と、栃木のある学習塾を紹介していただいた。栃木から東京へ進出する部門を立ち上げたいのだという。
そこで履歴書の代わりに「学習塾が都道府県の境を越えるのはなかなか大変です。それよりも、東京にいる子どもを栃木へ呼ぶのはどうでしょう。海外では、シーズンキャンプに数兆円規模の市場があります」といった趣旨の企画書を書いて出した。すると、あっさり採用をいただけた。
東京から離れたい気持ちも強く、数日後には予備校講師も辞め、単身、宇都宮へと向かった。人生初の正社員である。
宇都宮は、何もかもが安かった。2LDKで家賃四万円、しかも駐車場代は無料である。
ロードサイドの店ばかりで徒歩の生活は厳しいと聞いていたので、中古の原付を一万円で買った。とはいえ、荷物のたぐいは何ひとつ持ってきていない。硬い床で寝るのだけは嫌だったので、ショッピングセンターでマットレスを買い、原付のハンドルとシートのあいだに挟み込み、マットレスの端から進行方向をちらちら覗きながら、家まで運ぶ。命がけである。
それ以上、部屋のものを買う金もなければ、運ぶ手立てもない。そこからしばらくは、マットレス一枚だけの生活が続いた。シングルサイズのマットレスの上で食べ、その上で寝るだけの毎日。2LDKのだだっ広い部屋は、その暮らしをいっそう孤独に見せた。
私生活は、ひどいものだった。
ただ、仕事のほうは恵まれていた。栃木でも大手の学習塾だったこともあり、本社は綺麗で、新規事業を担うのは自分ひとり。おかげで、社長にも副社長にも目をかけていただくことが多かった。フリーペーパー編集で培ったスキルで社内報を作れば即採用が決まり、新卒採用向けの資料や動画も気に入ってもらえて、社内のいろいろな人と親しくなることができた。
シーズンキャンプの候補地探しでは、社長や役員と車で移動することも多かった。運転免許もなく助手席に収まっている自分を見かねてか、勤務中に自動車教習所へ通わせてもらえたほどである。
栃木にも高価な教育サービスを求める層はいるはずだと、地元相場の十倍はする個別指導も立ち上げた。四人集まれば損益分岐を超える設計にしたが、すぐに人気が出た。最近ホームページを覗いてみたら、ロゴも当時自分が作ったまま、いまも続いているようである。
シーズンキャンプの候補地も見つかり、サービス資料を作る。キャンプに詳しい部下も一人つけてもらえた。その部下が走り屋で、免許が取れた翌日、レンタカーで日光のいろは坂まで連れ出し、運転の手ほどきをしてくれた。相当なスパルタだったが、いまだに事故らしい事故もない。今となっては感謝している。
社長と副社長は、夫婦だった。社長はもとより、副社長にも可愛がられていた。
地方の会社にはありがちなのだろうが、本社でも社長・副社長が廊下を歩けば、社員はさっと道を空け、深々と頭を下げる。まるで大名行列のような風景だった。そんななかで、社長は私とすれ違うたび、わざわざ曲がったネクタイを、笑顔で直してくれる。本社の机で仕事をしていると、副社長がいきなり部屋に入ってきて、まっすぐ私の机に駆け寄り、何かを見せてくる。「見て見て、已己巳己くん。これ、孫なの。かわいいでしょう。本にしてみたの!」。椅子に座ったまま、「えー! かわいい!」と付き合う。
こうした光景は、ほかの社員からするとよほど異様に映ったらしく、「あいつは、女系家族の社長・副社長の娘と結婚させるための跡取り候補だ」という噂まであったようだ。
そんな初めての「社員」経験のなかで、私生活も少しずつ充実しはじめる。借金は返しつづけながらも、学生時代に乗せてもらって感動したBMWを激安中古で買い、夜な夜な大音量で音楽を流しては走り続けた。運べるサイズも格段に大きくなり、安い家財を加工してバーカウンターのようなものまで作った。校舎や本社の社員に誘われてドライブに出ることも増えた。迷惑と心配ばかりかけた両親を、ボーナスで温泉にも連れて行った。
仕事も私生活も充実しはじめ、あっという間に一年が過ぎようとしていた、ある日。私は、いきなり解雇される。
サマーキャンプの準備は進み、集客も始まっていた。だが、どの校舎も夏期講習の集客で手いっぱいで、なかなか人数が伸びない。部下と二人、栃木じゅうの校舎を回っては説明と集客のお願いをしていた頃、全社の校長研修を二泊三日で行うことになった。テーマは「ESとCS——従業員満足度と顧客満足度の向上」である。
そもそも社長も塾講師上がりだから、研修はとにかく上手い。百人を超える校長や責任者が涙するほどの話が続く。映像撮影で参加していたスタッフ側の私は、初日こそホテルマンの対応にいらつくことも多かったのだが、給仕をしながら研修に聞き入っていたそのホテルマンが、最終日にはすっかり気の利く別人になっていたほど、効果はてきめんだった。
社長が用意した全プログラムが終わり、事務連絡の時間になった。映像の撮影も編集もあり、そこへサマーキャンプの準備も重なって寝不足だった二十七歳の私は、社長の研修の熱にも当てられたのだろう、涙ながらにこう語ってしまう。
「社長のお話はとても素晴らしく、校長の皆さんも真剣にメモを取りながら聞いておられました。ただ、私と部下が説明するときには、メモひとつ取ってもらえません。サマーキャンプは、社長が実現したい本当の教育へ繋がる第一歩です。今日の話に感動した方は、どうかその成功にも力を貸してください」。
そんな趣旨のことを、涙ながらに訴えたのだ。
すると社長から、こう檄が飛んだ。「甘えるな! そんなに簡単に、すぐ理解されると思うな! 認められない、当たり前だ。認められるまで、やり続けるんだ。過去の偉人にも、生きているうちに評価されなかった者はいくらでもいる。新しいことをするというのは、そういうものだ。泥臭くやりきれ!」
研修が終わると、たくさんの校長が私のところへ来て、「已己巳己さん、ごめんね、あまりよくわかってなかった。いろいろ協力するから、また校舎に来てもらえるかな」と言ってくれる。動かなかった岩が動きはじめる手応えを感じた。結果としていい方に向かったな——と、意気揚々と本社に戻ると、直属の本部長に声をかけられた。
「已己巳己くん、ごめん、ちょっと会議室に来てくれるかな?」
会議室には、もう一人の本部長がいた。二人とも、いつもよくしてくれる優しい方々だ。その二人が、困り顔で切り出した。「已己巳己くん、我々もまだよくわかっていないんだけど……なんだか、今日でクビだという話になっていて。いろいろ確認してくるから、それまでここにいてくれるかな」。
クビ。
交通事故でいきなり車に轢かれたときも、こんな感じなのだろう。痛みよりも先に、何が起きているのかわからず、ただ唖然とする。何も考えられなかった。この日の記憶は、実のところ、ほとんどない。
広い会議室でひとり呆けていると、なぜか涙が込み上げてくる。おそらく二時間ほど経った頃、本部長が戻ってきた。やはり今日で終わり。解雇だと傷がつくから、自己都合でいいという。社会のイロハもわからない頃で、会社都合にすれば会社側に傷がつくことも知らず、差し出された書類にサインをした。夜に会社へ来て、その夜のうちに荷物をまとめて出ていくように、とのことだった。
社長からの言付けとして本部長づてに聞いた最後の言葉は、こうだった。「間違いなく才能はある。ただ、彼を育てられるのは、この会社の、社長である自分しかいない。それに今は、彼に全力を傾けられるときではない」。
——その後、本部長が退職された折に聞かされた真相はこうだ。「副社長がキレちゃってね。あの場で若手社員が校長にあれを言うのは、社長の教育がなっていないと言うのと同じだ、と。社長もびっくりしてたけど」。今なら理解できる話だが、当時の自分には、何ひとつ飲み込めなかった。
本社の社員が帰るまで、家で時間を潰す。何も手につかない。ふらりと立ち寄ったショッピングセンターで、目に留まったのはレターセットだった。家に戻り、社長と副社長に感謝の手紙を書く。よく覚えていないが、たしか、単なる礼というより散文詩のようなものだった気がする。少し、病んでいたのだろう。
夜。非常灯の明かりと、自分の机のライトだけが灯る本社で、机の荷物をまとめる。夜逃げと、何も変わらない。何ひとつ変わっていなかった。不甲斐なさに、涙が止まらなかった。
慕ってくれていた部下は憤り、自分も辞めると言い出したが、サマーキャンプだけは成功させてほしくて、踏みとどまるよう頼んだ。
サマーキャンプ当日。集合場所には、送り迎えの親御さんたちの車がずらりと並ぶ。キャンプはその後、満員御礼となった。子どもたちと、親御さんたちの笑い声が聞こえてくる。私は、道を挟んだ反対側。街路樹の陰に隠れて、出発を見守る。バスが集合場所を離れ、目的地へ向かうのを見届けると、着替えだけを積んだ愛車で、行き先もないまま、自分探しの旅に出た。
日付が変わる頃、茨城県の大洗港に着く。ちょうど、苫小牧行きのフェリーが港を離れていくところだった。そのフェリーをぼんやり見送りながら、行き場のない衝動を、ひとり静かにやり過ごした。事実は、小説より奇妙で、不可解なものである。
いま思えば、まだまだ青春の只中だった、二十七歳の夏。自分など、探したところで、そうそう見つかるものでもない。
クビになったことを知って、前職を紹介してくれた社長が、別の会社と繋いでくれた。「横浜の会社さんなんだけど、已己巳己くんみたいな人を求めているから、行ってごらん」。
横浜駅にほど近い、綺麗なマンションの一室。とても怖い顔をした、元ボクサーだという社長との面接は、笑顔にすら圧を感じるほどの威圧感があった。
宇都宮から、横浜へ。正社員、第二幕の幕が上がった。