第1話 小学生までの已己巳己

※サムネイルの写真と本文は、全く関係ありません。

ボイコット問題に揺れたモスクワ五輪が開催され、ルービックキューブや漫才、スキーブームなど高度成長期の恩恵がバブルの気泡を生みつつあった一九八〇年、埼玉県で已己巳己は産声をあげた。

生まれ落ちた家は、何故か高度成長・バブルの恩恵なぞどこ吹く風かと言わんばかりの貧乏世帯であった。

生家には、台所の傍にカビの生えた異様なスペースがあった。

後に母に聞くと「父が入浴して崩壊した風呂の痕」だったらしい。母が台所に立っていると、風呂の水と共に裸の父が外まで流れ出てきたらしい。

トイレは当たり前のようにぼっとん便所なのだが、穴の横にもう一つ小さな穴が空いていた。そちらは「父がリキんで踏み抜いた痕」だったそうだ。本当にボロボロの借家だった。

父も母も母子家庭で、生まれた時には祖母しかいなかった。

祖母と叔母くらいしか親戚付き合いは無かったが、シックスポケットとはすごいもので、祖父分のポケットが無くとも、子ども一人をまるまると太らせるくらいの力はあるらしく、已己巳己はどんどん肥満化していく。

幼稚園に上がることから父方の祖母と同居が始まり、まだまだ現役のキャリアウーマンだった祖母から、しゃべりや笑いのセンスを教わった。

それが功を奏したのか、小学生になるとスポーツマン系男子とカワイイ系女子の所属するクラス内カースト最上位に居場所があった。催し物の発表会では、已己巳己が登場するだけで割れんばかりの拍手と笑いに包まれるほどだった。

しかし、やはり、肥満児なのである。

バレンタインの放課後は、気づくと誰もいなくなっている。運動会のダンスでは、つなぐはずの女子の手が微妙に宙に浮いている。

真夏でも、身体のラインが見えないよう汗だくでジャンパーを着ていた。

マラソン大会では常にビリを争い、ヒエラルキー上位の連中から、悲しみにも似た視線を浴びせられる。

極め付けは、一生忘れる事の無い小学四年生の林間学校。已己巳己は、いつものようにヒエラルキートップの男女グループで夕食のテーブルを囲んでいた。

テーブルにおひつが一つ。ご飯だけは自分でよそうシステム。スポーツマン系男子が「俺のもよそって〜」と甘えると、カワイイ系女子が「仕方ないなあ」と言いながらみんなのごはんをよそっていく。

クラス最高峰のカワイイ系女子がよそう米は、一体どんな味になるのだろうとドキドキして順番を待っていたが、同じテーブルで唯一、已己巳己のご飯だけよそってくれなかったのだ。

いつものように笑いに変えながら自分でご飯をよそうとき「俺みたいなものは、日常は笑いの要素で必要とされるが、プライベートな関係になると邪魔な存在なのだ」と考えるようになった。

これは相当なトラウマだったようで、四〇年ちかく過ぎた今も、どれだけ周りから頼りにされる役職となろうが、仕事終わりの飲み会などで部下が已己巳己の分を取り分けてくれる度に「こんなクズ人間に気を配ってもらって申し訳無い」と感じてしまう。

成人になった後も幼少期のトラウマに繋がる要素を「影子」と「日向子」と言うらしい。

肥満児で相手にされない「影子」と、お笑いで学校一の人気者という「日向子」が、かれこれ四十年以上経ったいまもなお、しっかりと自分のなかにいる。

小学生時代はそのまま、特に大した盛り上がりイベントも無く静かに幕を下ろすこととなる。

そうだ、唯一、盛り上がったエピソードを思い出した。

小学四年生の時、保健の先生からバレンタインの時期に呼ばれ、チョコレートをもらったのだ。「みんなには内緒ね」と耳元で囁かれ、校庭の影でむさぼり食ったチョコレートは、大人の味がした。

数年後、それがぎょう虫検査陽性時にもらう虫下し薬だとわかった時には、膝から崩れ落ちるほどのショックを受けた。これが唯一、思い出せたバレンタインの思い出である。

こんな肥満児が、中学生となりガリガリのスポーツマンになるとは、この時誰も想像していなかったことだろう。

同じカテゴリーの記事

PAGE TOP